●時計の歴史●
11世紀以降の機械時計には、動くための動力、一定の速度で動かすための調速機、計った時を外部に伝える部分の三要素からなる。動力としては、重力、ぜんまい(ネジ)、電気など。調速機としては、振り子、テンプ、音叉、電力線、水晶、原子など。外部に伝える部分は、一般的には針(アナログ)や文字(デジタル)、音など。 1970年代頃までは、腕時計や置時計では動力にぜんまいを使った機械式、掛時計では電気(トランジスタ)式がほとんどであったが、1980年代以降、現在のほとんどの時計は、動力に電気、調速機に水晶振動子を使ったクォーツ時計となった。しかし、決して機械式時計が廃れたわけではなく、その完成度の高さから機械式時計の愛好家は多い。 クォーツ時計は一秒間に 32,768回(2の15乗回)振動する(32.768kHz)水晶振動子を用いて時を刻む。特にこの数値でなければならないわけではなく、適当に分周(周波数を小さくする電子回路の動作)をすると一秒が得られやすいために用いられているだけで、他の周波数の水晶振動子が用いられることもある。 また、近年はセシウム原子の振動(9,192,631,770Hz=9.19263177GHz)を用いた原子時計の時刻を基に発信された電波(標準電波、JJY)を受信し、クォーツ時計の時刻を自動修正する電波時計も利用されている。日本での標準電波の発信基地(電波送信所)は、福島県田村市都路町(大鷹鳥谷山、40kHz)と佐賀県佐賀市富士町(羽金山、60kHz)の二箇所。 一方、動力については、電池交換の手間を省くため、腕時計の分野では手の動きによる発電機の回転(AGS)や、文字盤に組み込まれた太陽電池などにより発生した電気を、二次電池、もしくはキャパシタに充電しながら作動するタイプが出てきている。 また時計は電子機器の多くにも内蔵されている。 これは、ビデオの録画予約や、電子レンジの加熱時間など、タイマーとして使われる。 パソコンなどのデジタル回路では、日付や時刻を刻む時計を持つほかに、CPUクロック周波数を使って回路全体を同期させる場合があり、この場合もある意味で時計を持っているといえる。
有史以前より人類(おそらく他の動物にも)は太陽の位置などにより、朝-昼-夕程度の曖昧で不明確な時の概念を持っていたと考えられる。太陽の位置を知る方法に「固定された適当な物の影を見る」というのがあり、これはいわゆる紀元前約2000年頃に発明されたといわれる日時計である。 しかし日時計は晴天の日中しか利用することができない欠点がある。そのため、別の物理現象を使って時間の流れを測定する時計が考えられた。例えば特定の大きさで作った蝋燭や線香、火縄が燃える距離を使う(燃焼時計)、水や砂が小さな穴から落ちる体積を使う(水時計、砂時計)などであり、紀元前1400年〜紀元前700年頃の間にエジプト、イタリア、中国などで考案された。 14世紀に入ると駆動軸の動きを制限する脱進機が発明され、これを使った機械時計が開発された。この時計は定期的に重錘を引き上げ、それが下がる速度を棒テンプと脱進機で調節するものであった。また1510年頃、ニュルンベルグの錠前職人ピーター・ヘンラインがゼンマイを発明し携帯できるようになった。 1583年ガリレオ・ガリレイは、振り子の周期が振幅によらず一定であること(正確には振幅がごく小さい場合に限られる)を発見し、振り子時計を思いついた。1657年クリスティアーン・ホイヘンスは、サイクロイド曲線を描く振り子および振り子に動力を与える方法を発明し、振り子時計を作った。 1654年ロバート・フックはひげゼンマイの研究を行い、それが振り子と同じく一定周期で振動することを発見し、1675年ホイヘンスはこの原理を利用した懐中時計を開発した。 中世ヨーロッパでの時計の意義は主に宗教目的で、神に祈りを捧げる時を知るためのものであった。しかし大航海時代に入り、天測および計時によって現在位置の経度を知るためには、揺れる船内に長時間放置してもくるわない正確な時計(クロノメーター)が必要となった。時刻にして1分の誤差は経度にして15分(1/4度、赤道上で28km)もの誤差となり、時計の狂いが遭難や座礁につながるという事故が多発したためである。1713年イギリス政府は「5ヶ月間の航海で誤差は1分以内」という懸賞条件に2万ポンドの賞金をかけ、1736年ジョン・ハリソンが見合う時計を完成させた。しかしハリソンが単なる職人だったためか、イギリス議会はいろいろと難癖を付けて賞金を払わず、40年に渡って改良を重ねさせた。ハリソンはジョージ3世の取りなしがあって、ようやく賞金を手に入れられたが、それは彼の死の3年前であった。
時計制作の歴史に革命を起こしたのが天才時計師として名高いアブラアン・ルイ・ブレゲであり、彼によって時計の進歩は200年早まったとされる。ブレゲはフランスを中心に時計制作を行い、トゥールビヨン、永久カレンダー、ミニッツ・リピーターなど、現代の機械式時計にも用いられている画期的な発明を数多く行った。ブレゲの顧客にはフランス国王ルイ16世、ナポレオン・ボナパルト、イギリス国王ジョージ3世、ロシア皇帝アレクサンドル1世などがおり、当時の最高権力者たちはこぞって彼に時計制作を依頼していた。 ブレゲがその生涯に制作した時計は約3,800個といわれ、数々の傑作を生み出したが、そのなかでも最高傑作として名高い逸品が、王妃マリー・アントワネットの注文に応じて制作された懐中時計「マリー・アントワネット」である。永久カレンダー、ミニッツ・リピーター、自動巻き、独立した秒針などを懐中時計サイズで実現するためにブレゲは持てる技術の全てをつぎ込んだが、王妃が断頭台にて非業の死を遂げたため、ついに完成品は王妃の手に渡ることはなかった。その後「マリー・アントワネット」は数々のコレクターの手を経た後、エルサレムのL・A・メイヤー記念イスラム美術館に所蔵されていたが1983年4月16日に盗難され、2006年8月に発見された。しかし真贋は未だ不明で、現在ニコラス・G・ハイエック社長指揮のもと、美術館に調査チームを送って目下調査中である。 その後、機械式時計は精度や携帯性を求めて様々な改良が施された。また、この17〜19世紀初頭は、職人の徒弟チームによる手工芸的な少量生産から、いかに大量生産で高精度の時計を作れるか・定期的な保守を誰でもできるかという要求により改良がなされていった時代である。ぜんまい動力の掛かる駆動部の歯車はなるべく均一な力がかかるように歯車の歯数を互いに割り切れないようにする工夫もなされた。気温によって振り子の長さやひげゼンマイの弾性が変化することも精度に影響するため、20世紀初頭に熱膨張率の小さなインバー合金、温度によって弾性率の変化が小さなエリンバー合金が発明され、大きな貢献を与えた。各種あった脱進機も、現在のアンクル脱進機にほぼ絞り込まれていった。 20世紀後半動力として電動機が使われるようになった。従来の機械式時計に対し脱進機にトランジスタを使ったトランジスタ時計、調速機にRC発振回路を使った時計、音叉を使った音叉時計などが開発されたが、水晶振動子を使ったクォーツ時計、セシウム原子の振動を利用した原子時計等の高精度な時計の出現によりほとんど姿を消した。 クォーツ時計は廉価で小型化が可能で、一ヶ月の誤差が15秒ほどと実用上十分の精度があるため現在でも一般的に使われている。一方原子時計は2000万年に1秒くらいの狂いという高精度を持つものの、21世紀初頭の段階では廉価・小型化が難しい。そこで、原子時計による時報を適当な頻度で電波によって受信し、クォーツ時計の時刻を自動修正する電波時計も利用されている。またこれ以上に正確な時刻を知る必要がある(科学技術用途など)場合、GPSにより10億分の1秒オーダの正確な時刻が地球上どこでも容易に得られるようになったことも特筆に値する。 クォーツ時計が一般化する前の電気式時計では、アナログ式では電源周波数に同期して回転するサーボモータを使ったり、デジタル式では電源周波数より1秒毎のパルスを得て駆動していた(後者は現在でもビデオテープレコーダなどのタイマー予約用時計に使われることがある)。このため商用電源(日本では50/60Hz)は長時間で誤差が累積されないように進み遅れの制御がなされている。 一方機械式時計の新しい発明として20世紀末には、オメガによる#コーアクシャル脱進機が提案されている。これはアンクル脱進機以来の発明といわれている。また、セイコーによる#スプリングドライブの発明は、機械式時計と電子式時計の融合として興味深い。 時計産業は、17世紀には手工芸的な産業であり、イギリスの独擅場だった。しかし産業革命を経て18〜19世紀のアメリカ西部開拓時代になると、正確かつ規格化された鉄道時計の需要が生まれ、アメリカに開発・生産の重心を移していった。ところが大量生産による粗悪化が起こり、20世紀初頭にはアメリカの時計産業は衰退した。対してスイス・ドイツなどで発展した精密機械工業が応用され、精密・堅牢であり高級感がありながら大量に生産されるシステムとして、特にスイスの時計産業が有名になっていった。
日本での精密時計の大量生産は20世紀に入ってから始まった。クォーツ時計の発明、さらに1970年代以降のデジタル化へのシフトにより、スイスの時計産業は衰退し日本へとその主軸を移していった。20世紀末には生産地がさらにアジア諸国にシフトしていった。 この頃にはクロノメーター時代の最高精度の何倍もの精度の時計が数百円で買えるようになり、デジタル時計なども実用的にはこれ以上進歩のしようがなくなった。ただしこういった安価な製品には粗悪感があり、物としての所有感がないため、スイス・ドイツ・日本の高級精密時計産業がまた盛り返した。『実用的な道具としての時計』と『高級な嗜好品としての時計』に分化していったといえる。 その後21世紀になると、携帯電話等に付属する時計を利用するユーザが多くなったため、前者の『実用的な道具としての時計』産業は衰退しつつある。後者の高級精密時計産業は、特にスイスの時計生産業者がグループ化され統合されて安定しつつある。また、ファッションブランドとの統合による資本の安定、他の産業(自動車・光学・精密・電子機器など)との複合経営による資本の安定や技術の応用・還元などにより、機械式時計もさらなる発展をしつつある。